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ロシア旅行記 No10 聖イサク寺院 その2 [ロシア旅行]

聖イサク寺院の続きです。
聖イサク寺院の唯一のステンドグラスです。キリストの復活。
ステンドグラスのキリストは、他の絵のキリストより、少し、きつめの顔をしています。
















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ロシア旅行記 No09 聖イサク寺院 その1 [ロシア旅行]

聖イサク寺院は、ピョートル大帝時代にワシリエフスキー島に、初代の聖イサク教会を作ったのが、始まり。
1717年に元老院広場(現在のデカブリスト広場)に移ったが、落雷で焼失。
エカテリーナ2世の勅命で、再建事業が開始されたが、未完成に終わった。
現在の聖イサク寺院は、1818年から1858年の40年間もの間、工事が行われた。
設計者は、フランス人のオーギュスト・モンフェランで、寺院完成の一ケ月後に亡くなっている。
高さは、101.5m、左右の幅は、97.6m、奥行きが111.3mで、収容人員は、1 万4000人。
外観は、従来のロシア・ビザンチン建築様式(ギリシア十字の平面プラン、中央部に巨大ドーム、四方に小ドームを配置する)を基本に、新古典主義様式のファザードで、建設された。
ロシア革命後は、ソビエト政権後、博物館になった。
現在も極く狭いエリアを除いて、奉神礼は、行われておらず、博物館となっている。

まずは、動画で、現地ガイドさんの説明を聞いてください。


https://youtu.be/l3YWEVPcK88


















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ロシア旅行記 No08 聖イサク寺院への移動、昼食 [ロシア旅行]

血の上の教会見物の後は、昼食です。
バスで、レストランへ、移動。

運河を、遊覧船が進んでいます。







これは、モイカ運河でしょうか。






レストランに向かいます。




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オナガの学校、そのほかの鳥たち(9月15日撮影) [鳥]

干潮は、午後1時30分です。
撮影は、10時50分から、午後2時50分頃までです。
11時半頃かなりの勢いで水が引いていました。
雨の後のせいか、水がいつもより、濁っている感じでした。
エイが流れに乗って、勢いよく、干潟から出て行くのが見えましたが、撮影はできませんでした。


まずは、雀の学校ではなく、オナガの学校です。
沢山のオナガが、群れていました。美味しい餌を会ったのかもしれません。
















一部をアップです。




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バンの親子と久しぶりのカワセミ登場(9月15日撮影) [鳥]

ロシア旅行記は、まだまだ、続きますので、賞味期限が、短いものを途中で、入れていきますので、ご容赦ください。
9月15日撮影の谷津干潟の写真を2回入れます。

ロシア旅行もあって、一ケ月以上間をおいての谷津干潟です。

鳥が、いませんが、あまり、変化無しです。
昨年は、この時期、水面に茶色の泥のような物質で、覆われていました。
今年は、幸い、全くその兆候はありません。







しばらく、待っていると、出てきてくれました。
カワセミです。






だいぶ、前から、時々カワセミが戻ってきているという話は、聞きましたが、今年になって、見るのは、初めてです。




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ロシア旅行記 No07 血の上の教会その2 [ロシア旅行]

これだけのすばらしいモザイク画で、装飾された教会が、ほぼ完全な形で、残されて、我々の目で見ることができるのは、大変ありがたいことです。

ただ、ロシア革命の社会主義体制下では、あやうく、破壊されるところだったそうです。
社会主義体制下では、1930年に教会は閉鎖され、第二次世界大戦では、野菜倉庫として使われた。レニングラード包囲線では、他の教会と同様に、損害を被った。

1970年7月に管理権を聖イサク教会に移されて、聖イサク教会は、収入を、血の上の教会の修復に使用した。27年間の修復作業後、1997年に、60年ぶりに、一般公開された。

この教会は、公的な奉神礼をほとんど行われず、モザイク博物館として、公開されている。






三位一体だそうです。






中央は、ハトです。ハトは、聖霊だそうです。









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ロシア旅行記 No06 血の上の教会その1 [ロシア旅行]

ネット情報から、
ロシア皇帝アレクサンドル2世は、「解放皇帝」と呼ばれ、農奴解放を初めとする大改革を行ったが、次第に反動化していった。
1881年に皇帝がテロの標的となり、爆弾で、重傷を負い、冬宮に運びこまれ、そこで、崩御した。
息子のアレキサンドル3世が、アレキサンドル終焉の地に教会を建てた。1883年に着工し、完成は、次のニコライ2世の治世に入って13年目の1907年。
建設資金は、ロマノフ家の他、一般の献金からもあてられた。
当初360万ドルの予算であったが、460万ルーブルかかった。














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サロシア旅行記 No05 サンクトペテルブルク空港から血の上の教会へ [ロシア旅行]

私のブログは、通常2日に一度の更新ですが、旅行記の移動部分が、多いので、今回は、連日の更新とします。


サンクト・ペテルブルク プルコヴォ空港に到着して、バスで、昼食のレストランに向かう予定でしたが、早めに着けば血の上の教会の観光を先にやりますと言うことでした。
モスクワを出るときは、結構な飴でしたが、すっかり、いいお天気になりました。
サンクト・ペテルブルクも、前日まで、大雨だったそうです。
天気予報では、曇り時々雨でしたが、すっかり、よくなって、大変ラッキーでした。

腕時計タイプのGPS ロガー SF-710 を持って行きましたが、いつお使用しているルートラボは、ロシアでは、対応していませんでした。
適当なソフトが見つかりませんので、旅の軌跡を示すことができません。
仕方が無いので、ピンポイントで、Google Map で、場所を示します。
まず、空港の位置は、

サンクト・ペテルブルクの市街地の南です。

No05










 






空港周辺の道路は、駐停車禁止のようで、近くの駐車場まで、荷物を各、もって、移動です。
駐車場で、バスに乗って、移動です。




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ロシア旅行記 No04 モスクワ空港から、サンクト・ぺテルブルクへの飛行 [ロシア旅行]

モスクワの国内線のヴヌコヴォ空港へ、バスで、到着しました。
2段階の厳しいセクリティ・チェックを受けて、チェックインします。






サンクト・ペテルブルクへは、UT Air の飛行機に乗ります。

飛行機は、B737-500 でした。
最大、126名の乗客が乗れます。
今回の旅行まで、UT Air という航空会社を全く知りませんでしたので、ネットで調べてみました。

1967年2月に設立されたアエロフロートチュメニ総局が、前身だそうです。ソビエト連邦が、1991年に崩壊した後、チュメニトランスアピア航空になり、その後2003年に社名が、現在のUT Air になったとのことです。
事故歴は、2007年、2012年にありました。いづれも、B737 ではありません。














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ロシア旅行記No03- モスクワ市内ホテルから国内線空港へ [ロシア旅行]

ロシア観光は、まずは、サンクト・ペテルブルクです。
サンクト・ペテルブルクは、1700年代に、ピョートル大帝が建設した都市で、1914年まで、ロシア帝国の首都でした。
この近くの土地は、スウェーデンやフィンランドと、奪い合っている。
1914年から1924年は、ペテログラード、1924年から1991年は、レニングラードと呼ばれていました。1991年に住民投票で、ロシア帝政時代に現在の名称に、戻りました。

ホテルから、国内線のヴヌコヴォ空港にバスで向かいます。
09:25発のUT エアーに乗る予定ですが、モーニングコールは、05:00 で、ホテルを6時に出発です。
朝食は、前夜、弁当ボックスで、もらって、それを、ホテルで、食べるか、バスで、食べるかです。空港という話もありましたが、なかなか、難しい。
ということで、04:30 に起きて、朝食を食べます。
まあ、山登りなら、3時起き、4時起きというのが、ありますから、それより、ましかなと言うところ。
これが、弁当ボックスです。
撮影していないと思いましたが、撮っていました。







バスで、国内線空港(国際線もあるようです。)へ、バスで移動です。

まずは、動画で、どうぞ。


https://youtu.be/SDwxMN-IgkE



















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